“CATTI杯”翻译大赛(复赛、决赛)日语样题

2021/11/29 17:46:13来源:CATTI中心

笔译

 

次の日本語の文章を中国語に翻訳しなさい。(50 点)

先輩記者が女子大生たちから招待状を受け取った。「枯れ木も山の賑わいと存じます。是非ご出席を……。」枯れ木としては山をにぎわせるべきかどうかに迷う。「情けは人のためならず」といったら、「なるほど情けをかけてはかえって人を傷つけるのか」とうなずく若者がいたそうだ。また、ある出版社が集めた誤字当て字優秀作?に、「ご立派な低宅をお建てになり」という新築祝いの手紙があった。無論、邸宅の間違いだが、低宅には妙な実感がある。「やはり脳力がなかったようです」とは、受験に失敗した若者の便りだ。これでは受験に失敗するのも無理はない。

こういう実例を並べては国語力の低下を嘆き、国語の乱れをなじるのが世の常だが、そうなじるご当人が、例えば順風満帆や不祝儀を間違えて読んだりするのだから、日本語というのはややこしい。青筋を立てて国語の乱れに警鐘を打ち鳴らす人がいるのはいいことだ。でもそういう「けしからん派」だけでは息がつまる。

山本周五郎の代表作『おたふく物語』の主人公おしずは、山本作品の中の最も魅力的な女性の一人だが、このおしずさんのしゃべる言葉は、すっとんきょうで、そそっかしくて、いつも間違いばかりしている。「金時の火事見舞い」を「金時のカゼ見舞い」などと平気で言い、周囲を笑わせる。目黒の茶店へ行けば本気で名物のサンマを注文し、店の老夫婦を喜ばせる。その言葉はとんまなようで情があり、間違ったいい回しがかえってあたたかい笑いを呼ぶ。ただ一つどんなでたらめを言っても、おしずは絶対に人を傷つける言葉を使わない。枯れ木も言えば相手がどう思うかを常に考える心配りがある。五郎はおしずという人物像を描きながら、本当の生きた言葉とは何か考えていたのだろう私たちはどうやら枝葉末節の間違いにこだわりすぎているように思う。


次の中国語の文章を日本語に翻訳しなさい。(50 点)

植物人,顾名思义,是像植物一样活着的生命植物人是离死亡最近的人,也是被家人深爱的人。外伤、脑卒中及缺氧性脑病,是导致患者成为植物人的三个典型原因。其中,外伤中车祸占比最大,且患者渐趋年轻化,醒来的希望渺茫。死神没有夺走的生命,更需要被善待。然而长期以来,植物人都游离在世人的视野社会的关照外。

医学上认为,脑死亡才是真正的死亡,所以植物人不等于死亡。衡量一个社会的进步,很重要的一点就是对弱势群体的关注程度。然而现实情况是:医疗资源有限,医院不可能长期将植物人留院治疗;家属缺乏护理知识,居家护理更是困难重重。植物人托养行业在医疗、养老、扶贫、残疾和康复的交叉缝隙中艰难生存专家建议,应该完善相关法律,在人口超过100万的城市里建立专门的托养中心,同时要利用媒体的力量,呼吁更多人关注植物人群体。


口译

 

次の日本語の文章を中国語に翻訳しなさい。(50 点)

皆さん、「大衆個人主義」という言葉をお聞きになったことがありますか。あるはずがないですよね。これは、私が最近の日本社会にはどうもよくない傾向が目立ってきていると感じて、この傾向に対して勝手に名づけた言葉です。大衆というのは、私たちみんなを指しますが、個人主義というのは、個人個人の立場を最も尊重して、お互いに他人の人格と自由をできるだけ認め合っていこうという、一つの明確な生きる構えを指します。その意味では、本来、個人主義には義務や責任の観念が伴います。ですから、もしみんながそういう義務や責任の観念をきちんと身に帯びてお互いの関係を作っていくなら、何も問題はないのです。

ところが、個人主義という言葉は、しばしば自分勝手なエゴイズムを指すこともあります。みんなが権利だけを主張して、互いに譲らないようになると、集団の秩序、社会の秩序、政治的決定などが成り立たなくなります。現代日本の社会風潮には、こういう傾向があちこちで見られるようになっていると思えてなりません。その意味で、「大衆個人主義」は、本来の個人主義の堕落したあり方だと言えるでしょう。

例えば、文科省の調査によりますと、現在、約7万人の児童生徒の親が、経済的に困ってもいないのに給食費を払っていません。また、学校に「うちの子をリレーの選手にしろ」などという無理な要求を突きつけてくる親が増えています。これが昔から「モンスター・ペアレント」と呼ばれていることは、皆さんも御存知でしょう。

また、私が直接見聞した例では、ある鉄道で人身事故がありダイヤが混乱したために、駅員さんが調整に多少手間取ったことを捉えて、その鉄道の責任であるとしていつまでもしつこく若い駅員さんをどやし続ける男性がいました。人身事故とはおそらく身投げでしょうから、鉄道の責任とは言えないのに、この人は文句を言い続けることに快楽を感じているようです。何か生活上の不満でもあって、江戸の敵を長崎で討っているのでしょうか。

一方、二、三歳の幼児を叱るのに、まるで大人同士で喧嘩をしているような口ぶりで理屈をまくし立てている若い母親をよく見かけます。まだ言葉を覚えたての幼児にそんな早口の理屈が理解できるはずがありません。その子は、なぜ叱られているのかわかりませんから、ぽかんとしていたり、母親を無視していたりします。これなどは、子どもを育てていれば自然に身につくはずの、その子の発達年齢にあった振舞い方がわからなくなっているのでしょう。人と人とはみんな対等な個人だというような考え方を、頭でっかちに信じてしまっているのでしょうか。ちょっと信じられない光景です。

また友達づきあいが苦手で人との関係を過剰に気にする若者たちも増えています。精神科医の和田さんによると、トイレにこもって一人ランチをする若者がいるという説がまかり通っているそうです。一人で食事をしているところを見つかると、「あいつには友達がいないのだ」と思われてしまうので、そのことを恐れてひそかにトイレにこもるというのです。「そういうことがあってもおかしくないよな」と感じられるほど人との関係がうまく取れない孤独な青年が多いために、若者たちの間で伝説化したのでしょう。

かつて日本は、集団主義の国と言われ、長い間、内外でその是非がいろいろな形で論じられてきました。しかし1980年代あたりから都市社会化、情報社会化が進むのに伴って、人間関係は、むしろヨーロッパなどよりもはるかに「個人化」の度合いを深めているように思われます。心を割って話せる友人のいない人、恋人のいない人、ひきこもりなどは、このころから急に増えてきました。

個人化が進むこと自体には、元に戻すことができない文明史的な必然性があります。またわずらわしい人間関係の拘束から自由になれるというよい面も持っています。そういうよい面があるからこそ、私たちみんながこの方向性を選んだのでしょう。親族間のしがらみなどは昔に比べてはるかに減っているし、できれば子どもの世話になりたくないという自立心をもった高齢者が増えてもいます。

けれども、この傾向を丸ごと肯定してしまうと、「人はみんなばらばらが一番よいのだ」という誤った理想を立ててしまいかねません。なぜこの理想が誤っているかというと、人間の本質は、「結び」というところにあります。相互に言葉や身体をかかわらせてこそ、人間の人間たるゆえんがあります。倫理的な慣習なども、この相互の関係の中から立ち上がり、維持・継承されていくのです。

ばらばらに分断化された状態をあるべき姿として考えてしまうと、社会秩序が穏やかな形で保てなくなり、代わって個人と個人とが争う修羅場が出現します。私たちは、権利の主張ばかりに明け暮れる、公共心の欠落した「大衆個人主義」の弊害についてよくよく反省してみる必要があるのではないでしょうか。


次の中国語の文章を日本語に翻訳しなさい。(50 点)

大家好,很高兴今天能有机会和大家一起探讨气候变化这个宏大的议题。我们先来看一下大屏幕:气候变化、巴黎协定、碳中和目标、两度目标......这些词你是不是最近经常听到?它们是什么意思?全球气温上升两度,听上去没什么大不了的,却为什么会导致那么多灾难?今天我想和大家分享的内容,就是气候变化给我们的生活带来的具体影响,以及作为个体,你我能做些什么?

我想首先请大家看一组小的数字。以我们现在所在的广州为例,从1908年到2019年,这一百多年间,广州的平均气温上升了1.4摄氏度。这个小小的1.4摄氏度意味着什么呢?首先是高温热浪。在1990年以前,广州市每年平均的高温日数差不多是6.5天,而现在这个数字是34.7天。这意味着每一位广州市民每年要经历的高温热浪的天数,比以前多了接近一个月的时间。

这可不是你躲在空调间里面就可以轻易解决的问题。由于城市热岛效应的影响,城市高温热浪已经成为影响居民健康的一个隐形杀手。对于户外工作者、老人、婴幼儿以及患有慢性疾病、心脑血管疾病的居民来说,高温热浪意味着他们的死亡几率会大大的增加。

《牛津词典》公布了2019年的年度词汇“climate emergency”,中文翻译过来是“气候紧急状态”,三年来,这个状态并没有由于新冠疫情而停止脚步。澳洲的山火从2019年烧到2020年,甚至在高温热浪的影响之下,加州亚马逊以及靠近北极的西伯利亚都发生了严重的山火,北极圈记录到了38℃这个创纪录的高温。而且由于高温导致北极的冻土融化,发生了严重的漏油事故。

上面这一切事件的背后,都有着气候变化的影子。气候不仅仅在变化,它已经告急。相信在座大家在此时此刻一定有一个问题。我能够做什么,我应该做些什么,来应对加速变化的气候风险?关于公众个人的气候行动,有很多的低碳生活指南和宣传标语,比如乘坐公共交通、绿色出行、节水节电,减少食物浪费、减少一次性塑料消费等等。

气候行动的真正的力量不在于去计算我每一次微小的改变带来的这个数字,更重要的是这个行动带来的希望和力量。全球的科学家、经济学家都用他们的技术论证和模型推演向我们证明,在充足的资金、稳健积极的政策和跨越式的技术发展之下,我们有能力把全球升温控制在1.5摄氏度,这也就意味着我们可以避免气候变化带来的不可逆转的灾害性后果。然而,这一切实现的前提,在于我们有意愿和信心去推动这些改变的发生。这个意愿和信心不仅来自政府,不仅来自企业,更来自我们每一个个体的行动。


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